それは、ただのいち日




毎日がただの一日になって、2週間。

すごく充実したものを感じていた。



好きな時間に散歩に出て、
近所に咲いてる花の匂いを嗅いだり。
日に当たり風に揺れる洗濯物を眺めたり。

大きな声で、お風呂で朗読したり、踊ったり。


なんでもないことが奇跡のようにありがたかった。



会社員の時にやめられなかった暴飲暴食もピタッとおさまった。
ストレスというものを感じていない。



そういうことが出来る環境にあるというのは稀なことであるし、
年齢的にも、環境的にも、本当に今しかない貴重な時間だと思う。


美しい器に綺麗な水をひたひたに溜めるように、
大事なものだけ注いでいきたい。

















働いてないのだから、そりゃあ楽に決まってるわけだが。

道楽をして生きていきたいわけではない。

「人のために働くというのは身を削り取る苦痛な行為」

という思い込みから自分を解放したいだけ。



本当は、人に奉仕するというのは双方にとって豊かな行為だと
幸福な人はみんな言っている。

それは、頭で考えて導かれる場所ではなく
体感によって得ていくものなのだと思う。


だから、本当に嫌なことは本当にやりたくない。



社会的常識という名のものさしを持ち出すと、
そういうことを自分に基づいて判断することができなくなるので
勇気を出して、捨ててゆきたい。


誰に言っているのか分からないけど、
そうすることを許して欲しい。

わがまま、身勝手、非常識とお思いになるだろうが、
排除するのではなく選択をする訓練として
引き算をしていくことを許して欲しい。



お願いします。





















独りでいることは本当に楽なのだけど、
周りに人がいるからこそ、その良さを噛み締めることができる。

これは、最近気がついた。


他人に囲まれた中で独りでいるからホッとできる。

無人島で本気で独りになったら、きっと寂しくて泣くだろう。



人と関わるのは、
とてもエネルギーを使って、
心がグラグラ揺さぶられて、
様々な影響が与えられて、
本当につらく感じることが多い。


でも、結局は人が好きだな、というところに戻ってくる。



ぶつかり、傷つけ合いながらドラマチックに生きていくのもいいけど
そういうことにエネルギーを使いたくないので、もうドラマは欲しくない。
ドラマは勝手にあっちからやって来るので、わざわざ生み出したくない。

それに、自作のドラマなんて大概稚拙なものだ。

おおきな自然が作るドラマの壮大さに比べてしまえば。



そうは言っても、感情はうまれてくる。

感情にいちいち意味付けをしていくと、それは重たい質となり
粘度を持った、刺激的なドラマとなる。


感情はエネルギーで、
エネルギーは均一に循環すると安定する。
淀んでしまい溜まると、放出されたがる。

心と体に従わないと、すぐに淀む。

だからとても気をつけることが大切。

何を望んでいるか常に、自分に問いかけることが大切。

















人気の投稿