みんないい子だね






ただひとつのことに集中していればいい
というのは幸福なことだなぁーと思った。

走る、コーヒーを淹れる、お茶を淹れる、
ごはんを食べる、
なんか数える、描く、読む


 それはどんなことであってもいいし、自分で勝手に決めていい。

ただ一生懸命にそこに集中しているのがいいそうで。

 なんか簡単そうだ。




年中、いつも気が散ってしょうがない自分には難しい。












スキャンダルやゴシップにただ反応するでなく、
自分の問題としても考えることができるなら
それは馬鹿げてないと思う。




自分のお尻を拭いてくれる人は誰も居ない。
お尻が汚いことすらも、教えてくれないかも。

私なんてどうせ汚いの!
と言いながら拭かないのもおかしい。

汚くなったら、拭けばいいという。

今は汚くってもいいの!
と思うなら、そのままでもよし。




自由度が高い中で快適に過ごすのは、
塩梅をちゃんと探る必要があるから大変だけど
やり始めたら楽しいんだと思う。


私はまだ二の足を踏んでいて、ちょっとカッコ悪い。








 世の中が効率性の鬼みたいになってしまってから
ずいぶん経ったが、人間性がすっかりくたびれている気がする。





近所の骨董市で、唐草模様の布を買った。


何に使うのでもないが
可愛さに胸を掴まれてしまった。


 やたらでかい



こういうとき真っ先に
「何に使うの?」
と思ってしまうことがあまり好きじゃない。



物にしろ、事にしろ、
自分にとってどれくらい得か。または損か。
そういう考え方をした時点で
全てがつまらなくなるなあ〜と思う。


昨日ラピュタを見ながらも思ったけど
いつの間にか、私つまんない大人になっちゃったな。






無駄を省くのって大事だけど、
今はすごい抵抗感がある。

だから、あえて普通はやらない、
無意味な時間稼ぎや遠回りをしている。

だからといって、別になんでもないのだけど。



周りを確認しながら生きてると
何に向かって生きているのか、サッパリ分からなくなる。









夕暮れの中、懐かしい場所を歩いていたら
センチメンタルで胸がいっぱいになった。



むかし住んでいた公民住宅が廃屋になっていて
取り残された建物をなんとも言えない気持ちで見つめていた。

何十年も前のものであろう、
廃れた三輪車や子供用の鞄が草むらに落ちていた。

それは私の思い出ではないはずだが 、
人類共通でもっている何かの記憶がブルブル震えていた。


小さいころから物に生命を感じることがあり、
幼い私は「頭がおかしいから、きっと妄想だ」と
片付けていたけど、案外嘘じゃないかも。


前も書いたけど、
物は優しくしてほしいそうだから
ぜひぜひ優しくしたい。




実は大人も子どもも
「いい子だね」って言われたい。
かもしれない。


みんないい子だね






そういえば、ここでは文字ばっかですので
絵だけのサイトを作りました。


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http://day-image-ak.tumblr.com/



よければご覧ください!







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