死ぬということ






雨宮まみさんが亡くなってしまった。


最近、というか今年で一番ショックなことでした。
この数日はそのことについて、ずっと思いを巡らせてました。



「女子をこじらせて」を読んだときはすごい衝撃でした。
その名の通り自意識をこじらせまくっていて、
ぶつかって壊れながら進む車のように生きてこられた
半生を綴った本であったと記憶しています。


ウェブで連載やお悩み相談もしていらして、
アーカイブは残っているので、読んでみていただければ
とても面白い文をお書きになる方だというのはわかると思います。


40歳という若さで逝ってしまった雨宮さん。
ちょうど「40歳がくる!」という連載をやっていらした。
これのリンクだけ貼っておきたいので貼ります。










まったくの突然なことで、
ご自宅で亡くなっていたそうだけど
出版予定の本や、継続中のお仕事、ご友人との約束など
やりたいことがいっぱいあったご様子みたいなので
ご自身でどうかしたわけじゃないようです。



ご本人のSNSだけが壊れた時計みたいに止まったまま残っていて
それを見るたびに、本当になんで今このタイミングで、
死ぬはずのない人が死んでしまったんだろう。
と、思ってしまう。



直接の知り合いでもないしお会いしたこともないし、
いつもチェックしていたとか
そういうレベルのファンではないのですが。





同じ時代に生きる女性として、
共に生きていくんだと勝手に思っていました。



 
 なんというか、女性として生きることとか、自分の弱さとか、
そういうことに真正面からぶつかっていたようなイメージでした。

 別に苦しみながら生きていきたいわけじゃないけど、
向き合うべきものと向き合って、それを作品にして仕事にもして、
全力で生きていらっしゃる人のように私には見えました。
それこそ、痛くなるくらいの全力で。



ショックで、悲しいとしか言いようがないです。



ご冥福を…という言葉をなぜだか言いたくないので
雨宮さんと彼女を思う人のためにただ祈ります。












人って死んでしまうんだなと思いました。

当たり前なのですが。



そのあまりのぶった切り方は
人が納得するとかしないとか、不可解とか、
もうそういう理解をはるかに超えていました。


映画だと「ここでこいつが死ぬのは不自然」とか
脚本にケチをつけたりしますが
実際の死はもっともっとリアルで
突然で、あっけなくて、私たちを置き去りにしていきました。



「もっと大好きと言えばよかった」
「一緒にしていた約束を果たせなかった」


そんな言葉も目にしながらも、
「間に合う死」なんてものはないのかもしれない
とも思いました。


ここ最近は友達によく会っていて
うっすらと「これで最後かもしれない」と
考えてみたりしたのですが
「本当に大好きだよ」とか言って突然抱きしめるわけもなく
ただただ顔を見て言葉をかわしたりしました。




次の瞬間に何が起こるかなどわからない私たちは

【今、一緒にいる】

ということに全力で集中するしかなくて、
それが積み重なっていくだけが生なんだなと、
 感じています。





今、私が死んだとしたら
それまでしてきたことや、人の記憶に残った振る舞い、
交わした言葉だけが私の存在の証になって
その瞬間ごとに何をしてきたかという積み重ねだけが
今を生きている私ということになる。 

だから【今】って大事なのか。











私は身近な人や、もしくは私を知る人に対して、
そしてこの国とか地球とか宇宙とかに対して、
何を残して与えられた生を使っているだろうか。
与えられた身体をどう扱っているだろうか。

最近は何を考えても
本当に「自分が幸福になること」しかないと思います。
そう思います。






自分が幸福になるというのは


他の誰も一切関係なく、比べることもなく、
どの星のどの国の基準とも一切関係なく、
今の自分に合わせて導き出せる
繊細で、確実で、優しい、自分にとって最善な答えを
自分に対して真摯に与えるということです。



意識とか生きることについてはまだまだ勉強中ですが
伏せてある札を一枚一枚めくるような感じで
想いを明らかにして生きていきたいなと思いました。





ありがとうございます。














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