厳しいヒーロー



最近は柴田聡子さんとイ・ランをずっと聞いています。



イ・ラン
「世界中の人々が私を憎みはじめた」




わたしが憧れるのはイ・ランのような人だなあと思った。

「神様ごっこ」についてきたブックレットを読んで。 


インタビュー↓





失礼な人がいたら「それは失礼ですよ」と
きちんと言うのがコミュニケーションというものなのに
面倒くさいから黙って適当にすることが多い。

揉め事が大嫌いだから。
と言うと平和主義者のようにも聞こえるけど、
深層意識では不愉快だった出来事をずっと覚えていて
腹の中に怒りが溜まっていたりする。ちっとも平和じゃない。


タクシーのおじさんに言われたセクハラ、
学校の教師が言ってきた差別の言葉、
ひどいテレビ番組、
知人が悪気なく言った暴言。
私もやったことあるだろう。

無意識に人を差別していたし、
下手したら今もしてるかもしれない。

色んな現実に全身でぶつかっていくと
ぶつかった衝撃で壊れてしまうかもしれない。
だから上手にぶつかりたいと思う。


でも思い切りぶつかっていく人を見るとヒーローのように見える。
イ・ランはそんな感じ。歌声はただただ美しいので、そこも好き。


作ったものや、その人の存在そのもので
誰かに与えるものがあるという事実は
理想的で、美しくて、輝いてる。















人はみな何かしら才能があって
それを発揮して、世界に循環させるために
生まれてくるものだと思っている。

それを見つけようとせず「ない」と言い切るのは
人生に全力で背を向けている状態だと感じる。
(そういう時期を通過することはある)


本当に頑張る必要があるのは、
その才能に関することだけでいい。
とすら思う。


ただ、徹底した厳しさがある。

他人と比較することは無意味で、
本当に何の役にも立たない。

羨ましさから生まれる妬みは
燃料の無駄遣いでしかなく。

自我を満足させたいがために
見せびらかしても人は離れていく。


期待を全部手放して、胡座をかかず集中する。
評価を受けようが受けまいが変わらず続ける。
ということだけしかない、と最近思いました。 



究極的には
健康な肉体と精神でいるのは
自分の才能を全うするために
行うメンテナンスだから。


人に愛されるためにやるわけではない。



もちろん褒めてもらったり
認めてもらうのは
とってもとっても嬉しいこと。
すごく大事なことだ。 
そこを否定することはない。
でもそれは目的じゃなくてもいい。


自分の持っている感情や、
置かれている状況は、
最終的にどこに帰結するのか
それはずっと忘れず覚えておきたい。


全部の命のためにやってるという
ことを忘れずにいきたい。












柴田聡子
「ぼくめつ」



『オリンピックなんてなくなったらいいのに…』









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