霞を食べて 靄を晴らす



紙に一本線を引くときの気持ちと
絵を描くときの気持ちが
 変わらないのがいちばんいい





こんにちは。
ブログをちょっと変えました。スマホから見ていた方が、今までとても読みづらかったと思います。たいへんもうしわけない!


ー雑記ー



ー足元壊れてから


世の中であり得ないとされることが色々起きてほころびが出てくると、自分が乗っかっているものがハリボテだったような気がしてくる。

でも7年前、多くの人は分かっていた。もっと前から分かっていた人もいる。法を守るのは大事だけど、それを自分のモットーにする必要はない。法を守らないやつは皆殺しだ!っていう状態になってるときがたまにあるから気を付けたい。

社会の一部でありつつ、社会とは違うところにいる自分も大事。
心は自由だ、本当に自由だ。それは妄想して気休めをすることを言ってるのではなくて、自分の自由をめちゃくちゃ許して認めること、許可と掘られた印を押して全面埋め尽くす。



ー少しずつもらっている


最近あんまり不安じゃないのは瞑想のおかげもあるけど、不安になるのをやり尽くしたからかもしれない。出所が分からない靄(もや)に覆われてしんどくなるのを定期的に繰り返していたけど、靄は少しずつ薄くなってきた。
私の靄を薄くするのを手伝ってくれた人が、身近な人たちや、素敵なものを出してくれる場所、近所の公園、美味しい食べものを作ってる人、などなどなど。身の周りにある、あらゆるものに底上げしてもらった。

こつこつ作ったり届けたり伝えたりしている人々、それは間違いなく役に立っている。
あらゆる方向から質の異なる元気を少しずつもらって元気になった人がここにいる。
どんなに小さい助けでも、全体を構成するひとつとして無くてもいいものはない。


ー苦しいはくだらなくない

元気になるの、なかなか時間がかかった。
そして当然のことながら毎日毎秒、元気な人はいない。浮き沈みは当たり前。突如として来る意味不明な波を上手く乗りこなせたり飲み込まれたりの繰り返し。波のことが大嫌いだったけど、波は悪者じゃないと分かってくると、たとえ溺れてしまったときでもそんなに苦しくない。


人は苦しくなると、なんで苦しいのか一生懸命考える。
それを解明するのにお金も時間も費やす。悩みごとを相談するとき自分でも「なんでこんなことを他人に聞いてるんだろう」と疑問を抱く。バカみたいかもしれないし確かにちょっとかっこ悪いけどしょうがない。相談した相手に呆れられるだろう、それはしょうがない。承知のうえで行く。
それに、くだらなく思える疑問からスタートすることがいっぱいある。

人がつまづいても、また立ち上がれる社会でなければ意味がない。


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ー日記ー
【霊視されてから浮かび出る言葉】


このあいだの土曜日(3/17新月)に初めて霊視というものをしていただいた。
多分一生忘れない日になると思う。というか覚えていたい。

それ自体に興味はありながらも、実際に受けるということは全くなかった。
今月はそういう見えないものについて関わる機会が4回ほどある。狙ってないけどたまたま重なった。自覚は薄っすらあるけど、ターニングポイントを迎えている。

一緒に行った3人の友人も同じように変わり目を迎えており、お互いの言われたことをシェアできたことはとても良かった。今後に向けて身近な繋がりをより強化した感じがある。


見てもらった先生は、占いっぽい雰囲気など一切ない、話しやすい親戚のおじさんのような自然さがあった。場所や家も民家という感じ。ドアを開け座った瞬間から1時間みっちり私について見えたものをひたすら喋り倒してくれる。
誰にも見せたことのない自分だけが知ってることが、その人の口を借りてどんどん出てくるので、先生と自分の境界線が分からなくなるほどの精妙さだった。 守護霊や前世やオーラについて色々教えてくれる人だけど、私に関しては私自身について多くを語ってくれた。

その場で言われたことをノートに書き留めて、一緒に行った友達ともさんざん話し合って、帰ったあともそれを更にまとめて、言われたことについて考え続けているのに、あのときのことを言葉にするの、なんて難しいのだろう。

こういった世界のことは、霊がついてる、オーラは何色、運気の良い悪い、などのキャッチーな側面のみで語られることが多い。 もちろんそのことも教えてはくれる。知ることができるのもとても嬉しい。でも私にとっては見えない誰か(何か)が、伝えたいことを私に伝えてくれたことが、何よりも一番一番嬉しいことだ。

ここで、私の運気がどうだったか、オーラが何色だったか、そういうことをシェアしてもいいけど、そういうことは別になんでもいいという気がしてる。私以外にはどうだっていいことだ。


どういうことか私にも分からないけど、
ここまで読んでくれた人は
下の方も読んでほしい。











 
人は自分のことを内面外面ふくめてデコボコで醜いと思っているけど、あなたが気にしているデコボコなど人生を美しく幸福に生きていくために全く関係ない。そんなものは障害ですらない。欠点と思ってるものは欠点ではない。
 欠点=長所みたいなザックリした理屈でもなく、本当にそれはぜんぜん大丈夫なので、好きじゃないところは気の向いたときに化粧水でも塗って優しくマッサージしておいて!

この社会やメディアや教育や環境や、要因になりえる全てのものが、生きていく上でいかに「気にしなくてもいいことを気にするよう」に作られていたかがよく分かる。


 もちろん今現在、逃れられないと思えるほど苦しみを抱えていたり、外側から圧迫されて苦痛を感じてる人はゴマンといるだろうと思う。
私は社長だろうが正社員だろうが家庭持ちだろうが心がどうしようもない人だったら何の信用も持てないし、逆に心の美しさを大事にする人だったら好きになってしまう。そしてそういう自分であり続けたい。

心眼が霞むときだっていっぱいある。
とくに心身の調子が悪いとき、落ち込んでるときは霞みやすい。だから苦しいときことそ要らんもんを切り捨てるアクションが重要だ。そういうとき一番役に立たないのはSNSとテレビだ。助けてほしいときに助けてと言ってください。さんざん人のせいにしたあとは、全部自分で引き受けてください。

あってはいけない喜怒哀楽はないので、ただのエネルギーなので、自分で上手にいただいてください。きっとサーフィンみたいに乗れるようになる。 ちょっとずつでいい。周りに迷惑かけたならビシっと謝って気概を見せたれ。


とにかく、大丈夫なので。
なんのこっちゃか分からなくても、大丈夫だよと強く自分に言ってあげてください。色んな細かいことが気になると思うけど気にしなくていいことが9.8割だと思います。

なんのこっちゃか分かりたい人は頭がパンパンになってる可能性があるので、目を使いすぎないで、散歩したりして体を動かして、滞っているものを全身に巡らせてください。

分かっていると思っていることは、ほとんど分かってないことの証なので、分かるか分からないかに重点を置かないでください。

インターネットは言葉遊びなので、遊べないくらい追い詰められてる人は力を抜いて深呼吸したあとスマホを真っ二つに折ってください。なくても大丈夫なものが多いです。


少しだけ呼吸を伸ばして生きてください。あなた最高なので。






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