これからが初夏のいいとき



散ってからが緑の見せ所だ 見てなさい








豊かな色


行くぞ行くぞと前向きに進んでいくときはまるでガキ大将のようで、そういうときは小さい声や些細なものは確実に取りこぼしていたりする。明るく楽しいとき、悲しい話を聞いても意味が分からない。だから悲しい気持ちになれてよかった。悲しみや苦しみがあるとそれを正当化したくなる。こうなって良かったんだと言いたくなる。でも本当はそんな目に遭いたくなんてなかった。異なる気持ちをグルグルまわった後で残るのは豊かさだけだった。豊かさとは、今いる世界の全く違う面が見えたり、抜け道がないと思えるところに道を見つけたりすること。使える色が増えること。人の気持ちがよく分かること。

無駄じゃないよという言葉はさんざん無駄かもしれないと思った一寸先にある。






遊ぼう


誰か遊びに行きましょう
言葉が話せないけど
誰か遊びに行きましょう
脚がないけど
誰か遊びに行きましょう

そこにある草を摘んで見よう
手の大きさを比べよう
同じ本の同じページを読もう
一緒にやろう、それが遊びだ








命乾いた人々


素敵なものを作るとそこに命が宿る気がします。
個人でも企業でも、同じ形のものを大量に作らないといけなくなったとき、または同じ対応をたくさんの人にしなきゃいけなくなったとき、一個一個に命を宿す作業はとても難しくなると思います。今までは、そこで多くの人に届けるために試行錯誤するのが主流でした。見えないところで当たり前のように努力してくれている人々のお陰であらゆるものが手に入るけど、本当にこんなことして良かっただろうかとなぜか私が考え込んでしまいます。
好きなお店が人気にになりすぎて行けなかったりお店自体閉めてしまったり、好きな場が規模が大きくなりすぎて雰囲気が壊れてしまったり、対応に追われすぎてやりたいことができなくなってしまったり、それは店や場を始めた側の課題としてあるけど本当にそれだけでしょうか。
あそこに水が湧いたぞという噂を聞きつけては水を枯らしながら移動し続ける渇き切った人も取り組んだほうがいい課題ではないですか。何かを求める人にもちゃんと考える力が与えられているはずです。
どちらが良い悪いという話ではないけれど、与える側は命を見せびらかして人の乾きをただ煽ってはいけませんし(皆が煽り合ってもっと乾くから)、貰う側は自分が何のために何を欲しているのか考えて道端の花をじっと見つめたいです。
これはただの正論で役には立たない気がするけれど、人の手に渡るものに命を吹き込みながら生きている人がいますので、どうかその命が長く続くように、もっともっと元から持っている賢さや勇敢な心を引っ張り出してください、必ずそれが誰にでもできます














良い音楽






東京の色んな所で時々見かける路上演奏者のかた。Sami Eluさん。
生で聞くと音色の美しさに仰天します。しかも自作の木製楽器です。めちゃ小ぶりだし。パーカーッションまで全部一つの自作楽器で完成されていてすばらしい。音楽自体も心地よくてゆったりしてるけど踊ることも出来るような感じがあります。

演奏している姿も是非動画などで見てほしい。






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雑記


なんかまた立派そうなことを書いてしまった。
鏡を拭いた時に跡が残るだけで掃除が嫌になってふて寝してしまったりする、どうしようもない私がこんなことを書いていいのか。身近な人に傲慢な態度をとって、その後に子どもみたいに拗ねたりするのに。床を掃除しただけで大仕事をこなした顔をしている私に。あまりにもつまらなくて少しも優しくないけど大丈夫なのか。

自分に価値がある、とわかるために価値のある人格や装いを後からくっつけようとしたけど、ことごとく上手くいかなかった。

「価値があるから生きているのではなく、生き抜くことに価値がある」と言っていたのは江原啓之さんですがこの言葉とても好き。とにかく立派になろうとしすぎる。頭のなかにある完全理想像と自分を比較していても気分が悪くなるばかり。といいますか、もし他人からそんなふうに比較されたとしたら絶対に嫌なのに、自分で自分自身にそんなことしていいわけないよね。自分で作った完全理想像は、社会や親などから影響を受けた全くの偽物である可能性がとても高い。丸刈りが徳が高くてオシャレでモテます!と各所で報じられたらみんな丸刈りになってしまうのか?

私は完璧じゃないでーす!と全世界に向けて大声で叫びたいけどそれを一番分かって欲しいのはたぶん自分自身だ。






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