恥をかかない城







感情のことばかりで毎日が過ぎていく。

感情を感じているだけで終わっていく。





感情とちゃんと向き合うのは苦しい作業だと思う。
目に見えない筋肉を酷使する。


私に身体があり五感があるから、感情が生まれて、そこからまた問いが生まれてくる。
だから身体には感謝したい。五感にも感謝したい。健康を維持できるあらゆる要因、全部のゆらぎを受け止めている生命体としての自分、あまりにも優秀。










恥をかいた記憶



恥をかきたくない。

小学生の時、音楽の授業でひとり前に出て先生が弾くピアノの伴奏に合わせて歌わなくてはいけなかった。前の晩からのそのことで頭が一杯になり、口から心臓やその他の臓器が飛び出るくらい緊張して、震えながら上擦った声で歌った。全員やらなければいけないからみんな人の歌など真剣に聞いてないが、その瞬間だけはそれなりに注目されるのは苦痛だった。
体育の授業もそう。跳び箱を飛ぶとき、サッカーボールを蹴りながら一周するとき、同じ気持ちだった。ひとりずつ前に出るのは、ただの見せしめだった。感じの悪い男子に笑われたり、心無い言葉をかけられたこともあった。そんなことで人の価値は決まりはしないけど、今でも思い出せるくらいには記憶に残ってしまった。


やったことのないことをした時に、上手くいかなかった。失敗して恥をかき、笑われた。そんな経験は誰しもがあるかもしれないが、小さい頃の些細な記憶が、大人になった私の足をずっと引っ張っている。もっとトラウマになるほどの強烈な恥をかいた人もいるかも知れない。私は共感する力が強い方なのか、他人が恥をかく姿も自分のことのように思えて、とても見ていられない。



失敗しないように、恥をかかないように、前もってあらゆる可能性を探る性格になった。先を予測し、危なそうだったらやらないという判断を数多く下してきた。傷付きたくないし、立ち直るのに人の何倍も時間が掛かるから、自分を守るためにありとあらゆる考え方を試した。考えて考えて、考え尽くして、しまいにはオートメーションで何手も先まで考えが回るようになってしまった。分からないフリして飛び出したりできなくなった。危機管理の方面で、精度が高くなりすぎてしまった。



確かに恥はかかない、怖いことも起きないけど、行ける場所もずいぶん減ってしまった。そのことは初めは安心だった。自分だけの城のような、巣のようなところで、好きに行きていけるのは心地よかった。しかし、そうして安全な場所で少しずつ元気になっていくと、次第に安全なだけの場所はつまらないと感じ始める。


元気になったし外に出てみようかなと思うと「そっちは危険です!」と全力で止めにかかってくる過保護で真面目な人が心の中にいる。その人にはめいっぱいの感謝と充分な退職金を渡して去ってもらわなくてはいけない。そうでないと自ら作り上げた完璧な城の中で、私は何にも触れることなく白骨化するだろう。












過保護な親と、自立したい子が、自分の中に同居している。
無理矢理にでも親を突き放して飛び出していくのもアリだろうけど、強制的にそういうことをすると、自分の体には緊張として抵抗が現れる。緊張したまま何かをすると、本当につらいことになる(招きたくないことが起きやすい)のは、もう知っているので、なるべくなら緊張しない自然な身体のまま外に出たい、そのためには親にわかってほしい。




どうするのがいいだろうと考える。

まずは、相手が出し切った思うまでその言い分を聞き、それから懇切丁寧に自分の意志を説明して説得をし続ける。必死で抵抗する相手は、どんな理由や思いで抵抗するのかを一通りすべて吐き出せるまで、人の話など聞けないだろうから。そういうことを、自分の中でやる。(これは実際に人を説得する時もそうするかもしれない)

これから立ち去っていくであろう古い自分に、過去の感情をとにかく出し切ってもらう。未消化の思いはどういうわけか自分の内側に消えずに残り続けている。居座り続けているとスペースが空かないので新しいものは入ってこれない。乱暴に引きずり出すと、とてもつらいので、とにかく自分から出せるように環境を整えてあげる。



自分の心や身体は、ぜんぶ自分の思い通りになるものじゃない。
どう考えても曲がったほうがいい道で、頑として曲がらない。しかも理由を自分から説明してくれない。だからこっちから「どうしたの?」って聞かないといけない。何かをする前に、他人に対してもそうするように、自分に対しても相談が必要な時がある。もちろん聞いたからと言って、すぐ答えてくれるとも限らない。とくに私自身の場合においては、長きに渡って言い分を無視したり一方的におかしいと決めつけて蔑ろにしてきた経緯があるので、そう簡単に話をしてくれない。その代わりに、ものすごく身体を緊張させたり、汗をかかせたり、肌に湿疹を出したり、咳を出させて何かを訴えてくる。

だから、根気強く、話を聞いたり、話を聞かせたり、する。
身体に反応があるのはコミュニケーションがまだできる証でもあると思うから。





私は元気になるために城を作ってそこでじっとしている時間がどうしても必要だった。
それを選択したことで得たものも失ったものもあったが、それは自分にとってはその時の最善で最良の選択だった。私は城の中で満たされたので、もう城を出ていかないといけなくなった。


城を出ていくのはとても恐ろしい。
全部意味がなかったのではないかと思うと立ち上がれない。
振り絞った勇気を蹴散らされるのではないかと想像することもある。
でも私の代わりは誰もいない。


何かも全部、自分で行う。






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